ふたりの距離の概算

ふたりの距離の概算 (角川文庫)

ふたりの距離の概算 (角川文庫)

私にもこんな多感な青春時代が、無かったとは言わないけれど。

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自分が持っていない能力に、憧れを抱くのに特に理由はいらないだろう。例えば、歌ったり、演奏したり、飛んだり跳ねたり、取り留めのない会話を交わしたり。すなわち、私自身がそういうことが苦手であるために、こういう取り留めのない会話が成り立つ関係には強い憧れを持っており、それが本作がお気に入りである理由である。本作の登場人物、大日向(彼女みたいな子は好きだ。もし自分が里志であったら摩耶花に聞かれたら気まずいことになる的な意味で)の言葉を借りるならまさに、「仲のいいひと見てるのが幸せなんです」。

例えばヒロイン千反田の、なぜ彼女が怒りを露わにすることがないのかと問われて答えた「疲れるからです。疲れることはしたくありません」(これは、省エネ主義を標榜する主人公をなぞって冗談にしたものであって、彼女の本心ではない)というセリフに表れる、個々人の性質を理解した上での会話劇。

その一方で、個人的な好みの話をすると、このような人物間の関係性の描写にはかなり細かい割には、その結果はやたらと淡泊であるようにも感じる。例えば善名姉妹、アニメ版で追加された最後の描写のおかげで、原作で抱いたもやもやが幾分か晴れた思いであったし、例えば大日向女史、仮に自分が筆を執ったなら次回作の冒頭には再入*(伏せ字)を果たした彼女の第一声が書かれるに違いないが、現時点でその可能性はあり得ないと感じさせられる。

それはむしろ、作者の意図的な、信念の表明なのかもしれないとも思うが、どうなのだろう。そうだとするなら、どう受け止めればいいのだろう。「わたし、気になります」。