君の名は。

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ラストの10秒が、新海監督の10年の間の成熟と、一方、おいらが未だ至らないその欠点を、鮮明に対比していた。

【追記】

さて、みなさん「主人公の2人が**が違っていることに気付かないなんてありえない。リアルじゃない。」って思いませんでした? 思ったよね? 私は思った。じゃあ、訊きますけれどみなさん、劇中で**が違っていることが明らかにされるクライマックスより前に、そのことに気付けました?

私は気付けなかった。と言うかむしろ、予告を見た時点で「これは2人の住むところと**が違うということなのかな」と思っていたくせに、開始早々に自ら却下してしまった。なぜなら、田舎の高校生までもがフツーに***を使っていることが、同じ**であることを明示していると思ったから。(でもそれは、1*単位で同じことを意味するレベルの精度は持っていなかったのだ。やられたー!)

このように、物語の最中に観客(私自身)が気付かなかったことに、登場人物が同じように気付かないことはまったく疑問を挟む余地のないことであり、従って、この物語がそのような前提で構成されていることには非難される謂われはない。

異議あり! 被告は、登場人物が日常生活において極当たり前に知覚するであろう情報を故意に隠匿し、意図的に原告を騙したのであって、その行為は悪質と言わざるを得ません。

はい、それ、それです。

実は**が違うのではないかという可能性や、違和感、あるいは「ところでこのお話は**の出来事なんだろうか」という疑問を、観客に気付かせない、感じさせない、思わせないシナリオと演出。それを、故意に、意図して、そして自然に作っていることが素晴らしい。これを強引な無理矢理な手法でやってしまうと、むしろ違和感や疑問を誘発することになってしまう。

これは、昔、STEINS;GATEを観たときに感動したのと同じ観点だ。(こちらの方は、物語の冒頭で起こった出来事を、終盤までに忘れさせるという点で、さらに高度なテクニック。)伏線を見せるとか、違和感に気付かせるための演出手法ならば素人なりにいろいろとアイデアもあるけれど、知られてはいけないことに気付かせないのって、いったい何をどう考えればいいのだろう。(後になって思うに、本作では既に2人が入れ替わった後からスタートするというところも、演出上の重要なポイントだったと思う。)

そんなことを思った。