雲のむこう、約束の場所 >> 関係に縋るのか、関係を築くのか

公開は2年前の冬なのだが、その前か後かの暑い季節に購買部で見た、雑誌の紹介記事に掲載されていたカット(公式サイト イントロダクションに掲載されている3枚目)と、そのときの外の暑さと、購買前の薄暗いフロアの冷気と、あれやこれやが強く記憶に残っている。

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セカイ系」と言われる作品群の中にあっては、いやいやどうして、ちゃんと社会制度や科学や登場人物の周辺からさらに周辺の人間関係を含めて、きちんと世界観が成立していると感じた。(って、いきなりそんなところを感想に思うんだ?)

例えば、僕がゴジラ(平成シリーズ)よりもガメラ(平成シリーズ)の方が好きだったのは、前者では怪獣を「見守る」のが仕事な防衛組織に対して、後者では怪獣退治を担うのは自衛隊であってそれ以上の(観客が考え得る)選択肢が存在しないという点で、社会的なリアリティに納得できたからだ。ガメラの世界では、人を守るのは人の仕事であって怪獣の役目ではない。

もう一つ例を挙げれば、コミックス版「風の谷のナウシカ」で、全編に渡って関わりを持つあの強大なトルメキア帝国よりも、地味(?とは違うけど他の言葉が見つからない)なドルク連合の方に政治体制のリアリティを感じられるのは、官僚の存在や国政と宗教の蜜月と対立などが嫌味なまでにリアルに描かれているからだ。※2

要するに、作品にリアリティーを持たせるには物語の「周辺」の描写が必要不可欠だと。

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主題に移る。「彼女」を救うのか、「世界」を救うのか。――あるいは「自分」か。

物語はサユリの目覚めと世界の収束によって終わるが、彼女が眠っていた間に近づいていた主人公と彼女との距離も、喪失されてしまう。結局のところ、「彼」と「彼女」にとってはスタート地点に戻っただけで、何もプラスにはなっていない。 

彼が救った「彼女」は、彼が救ったことによって「彼女」ではなくなった。

もし、自分の人生を生き抜く気があるなら、迷わず「自分」の世界を守るべきであり、それをできなかった彼は、今後ずっと、取り返したはずの「彼女」の中に彼が失った「彼女」を見るのであって、果たしてハッピーエンドにはなり得ない。

なのだけど、失ったからこそ、それを自分の中に留め続ける権利を得るのかもしれないと思った。

いやいやそうじゃないでしょ。訂正。

そんな過去の「彼女」を失ってでも、これから新たに、改めて、関係を作っていくことを、彼はあの時に覚悟して選択したのだ。


関連作品

(直接的な関係は無いけど)ノスタルジーを誘う

劇中引用

劇中に引用されてた箇所だけならば、あの朗読の演技で非常にいいと思うのだけど、この詩のそのものの背景を考えると、そう朗らかに読むのはちょっと違うんでないかとも思った。じゃあ何が正しいのかと訊かれると、答えはまだない。